勝手に岐阜県観光大使

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岐阜県観光大使の岐阜情報~けっこうどうでもいい情報だよ、でも見てね~

最近はアイスコーヒーではなくホットコーヒーを頼む機会が多くなった、大使です。

 

 

日中は暖かいんですけどね、朝晩が。

冷えるぜ!

ちなみに昨日の夜は、

10℃

でした。

 

 

 

県が18日に公表した地価調査結果で、県内の地価上昇が32地点に増加したそうです。

嬉しいことですよ!

特に玉宮町という場所が年々上昇。

 

 

玉宮町とは...

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名鉄岐阜駅から歩いて2分、JR岐阜駅から歩いて5分の場所にある飲食店が立ち並ぶ繁華街。

約300軒の飲食店が立ち並びます。

全国チェーンの店はほぼ名古屋に作られるので岐阜県はチェーン店が極めて少なく、こだわりに満ち溢れたお店がたっくさんあります。

名古屋と岐阜は約20分で着いてしまうのですが、

「このこだわりでこの価格?」

っていうくらいコスパのいい名店で溢れています。

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(写真34枚)岐阜市住田町繊維街〜玉宮町通り〜金公園の紹介

 

 

県地価調査分科会岐阜第2分科会幹事の方は

玉宮の勢いが止まらない。人の流れは柳ケ瀬から完全にスイッチしたと言える。」

といっています。

 

 

かつて日本屈指の繁華街、商店街と言われた

「岐阜・柳ケ瀬

 

人の肩と肩がぶつからないと歩けないと言われるほど人で溢れていました。

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美川憲一が柳ヶ瀬ブルースを歌い知名度は全国区。

おじいちゃんおばあちゃんの世代で「柳ケ瀬」を知らない人は少ないのでは?

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夜の街でも知られ、この時代は一日にどれだけのお金が動いたのか。

景気の良さ、日本の勢いを物語っていたそうです。

 

スナックのママが言うには、

 

「当時わたしは今でいうガールズバーで働いてたの。仕事柄お酒を嫌でも飲まなくちゃいけなくて。

それでお店で酔っ払って閉店して夜遅くに家に着くじゃない?

あの頃は着物で接客をしてたから家で帯を取ると、帯から札束が落ちてきたのよ。

酔ってるから分からなかったけど、知らない間に入れられてたのよね。」

 

なんて時代なんだ。

本当に今の時代考えられないです。

 

そんな時代の柳ケ瀬が今は...

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ガラリ。

昭和の遺産だけを残して。

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当時柳ケ瀬には約1000店のお店が入っていたそうです。

映画館は12もあったそう。

昭和20年代柳ケ瀬に1日でお金が当時のお金で少なくても20万円落ちたそうです。

今のお金で換算すると約600万円。

1日ですよ?

ほぼ毎日それだけ落ちていたので年間にすると21億円。

 

圧倒的賑わいだったそうです。

 

 

今は当時の賑わいがないですが、いろんなイベントを仕掛けておりイベントの日は当時を彷彿させる賑わいです。

 

昭和レトロな建物が多くて個人的には町歩きがすごく楽しい。

 

 

そんでもって柳ケ瀬の1992年地価公示では1㎡あたり520万円。

今で例えると、

中央区銀座2-3-18

 銀座1丁目駅90m

・渋谷区道玄坂1-6-3

 渋谷駅230m

の土地とほぼ一緒。

 

恵比寿駅前や中目黒駅前、5つの路線が集まる飯田橋駅前よりも地価が高かったそう。

 

 

すっげ!!!

 

 

柳ケ瀬もぜひ忘れないでね!

 

 

 

話はそれてしまいましたが、玉宮町にこんなビルができました。

岐阜横丁-日本最大級の屋内型グルメ横丁

 

玉宮の勢いが止まりません。

ぜひ名古屋のお店に飽きたら、岐阜駅前にも足を延ばしてください!

とっても美味しいお店ばかりですよ!

 

以上、けっこうどうでもいい情報でした。