初めにお知らせ。
昨日緊急で皆さんに呼びかけを行いました。
下呂市金山地区のボランティアです。
本日金山地区のボランティアへ行きました。
予想以上の参加人数で大幅に作業が進み、明日以降のボランティアセンターは設置されないことになりました。
皆さんのおかげで早期に復旧することができました。
ありがとうございました!
これで上之保も落ち着き金山もひと段落...
ボランティアへ来ていただいた皆様には岐阜県を代表して心から感謝申し上げます。
今後ですが、ふるさと納税や募金で被災地を支援することがメインになります。
一番は現地へ行ってお金を落とすこと。
コチラに関してはこれからも末永い支援をよろしくお願いいたします。
話は今日の出来事、報告に戻ります。
とっても暑い一日でした。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日の高温気温ランキングは1~4位を岐阜県が総なめ。
しかも3日連続で1位です。
嬉しくもなんともない!
被災地なんだから少しは手加減してください神様。
そんな激アツな今日は昨日呼びかけを行った下呂市金山町へ。
JR高山線が現在も運転を見合わせている地域。
そんなに被害あったのかな?
というのが正直なところ。
国道41号線を北上していきますが、並行するように飛騨川が流れます。
いつもはエメラルドグリーンの川なんですが、大雨から時間が経った今でも茶色く濁っていました。ただならぬことが起こっていたと感じれました。
現場に到着。
駐車場から本部まで約450mです。
帰りにここを戻ってくるのか...一番暑い時間に...とか考えながら進みます。
本部到着。
人少なっ。
受付開始15分後の景色とは思えません。
本当に認知されていないんだなという率直な感想。
でも上之保ボランティアセンターではなかったアイテムが。
これがあるのとないのとではボランティアの意識がだいぶ変わります。
ボランティアのマナーは毎災害ごとに問題視されます。
ボランティアの方はマナー守りましょうね。
本日は友人率いるグループ20名と三重県の友達とで参加させていただきました。
10名11名で分かれ僕は泥だしの10名。
担当者から最後の注意点を聞きます。
聞き終わったらいよいよ現場へ向かいます。
到着後僕たちは唖然とします。
え?なにがあったんだ。
なんでアスファルトが剥がれているの?
その理由は後で分かります。
前日に友人が同じ場所の作業をしていました。
その時の様子がこちら。
土砂。
目も当てられないほどの惨状。
ここの土砂をかき出していきます。
しかし、外は37℃の灼熱地獄。
風はなく、日陰にいても不快です。
したがってこの半地下空間も不快の暑さ。
ですが、目の前には困っている被災者。
やるしかありません。
土砂の種類は主に石。
大きな石から小さな石まであります。
川が氾濫した証拠です。
何度も休憩しながら、熱中症にならないように作業します。
この美しい色をした久野川が当時恐ろしい顔をしていたとは想像もつきません。
現場の反対側に来てみると被害の大きさが見えてきます。
半地下の部分、一階の高さ50㎝位のところまで水位が上がり全てを飲み込みました。
畳もダメ、床もダメ、壁もダメ...
ここまで水位が上がるとは。
左側に大きな岩がありますが、岩の上の杉の木下の部分の皮が剥がれています。
ここまで水位が上昇しました。
さらに、
木に絡みつくホースの数々。
上流から流されてきたんですね。
この家は半地下があるお店の店主の家だそう。
久野川が濁流になっていた当時、店主は家の二階に上がっていたそうですが怖くなって隣に生えている木にしがみついていたそうです。
ウソのようなホントの話。
怖かったでしょうね本当に。
想像を絶する体験だったはず。
場所が場所なんで助けもくることなく、死と隣り合わせの状態。
本当に生きていてよかった。本当に。
久野川の流れは穏やかすぎて想像をすることが容易ではありません。
泥出しを一日かけて行った結果...
なんということでしょう。
本当に綺麗になったと思います。
家主さんはかなり喜んでみえました。
お年寄り夫婦が2人でやれる状況ではなかったと思います。
泥からは悪臭もし、これ以上長く放置するのはあまりにも危険な状況でしたね。
本当によかったです。
本当に暑い中皆さんお疲れさまでした。
この4日間で感じたこと。
「1人では生きていけない、支えあって生きていく」
普段の生活は1人で生きていけます。
誰の手も借りずに生きていけますが、このような災害があったとき。
連日西日本の災害が取り上げられていますが災害が起きたときというのは1人では絶対に生きていけません。
普段から地域住民の方とコミュニケーションをとっていざというときに声掛けが適切にできるようにしていきたいですよね。
自然災害はいつどこでどのタイミングで起こるか分かりません。
僕自身「まさか岐阜が...」という感じでした。
日本一安全な県だと思っていましたが、本当に安全な場所なんてないんだと。
まさかこーんなステッカーを生きているうちに貼るときがくるなんて...
想像もしていませんでした。
災害が起きた時こそ「力を合わせてやろまいか!」
本日で岐阜県内のボランティアはひとまず落ち着きました。
改めて皆さんのご協力本当にありがとうございました!
感謝いたします!
この後僕は一週間休暇をいただき、今週末から
倉敷へ。
まだまだ人の手を必要としている被災者がたくさんいます。
「困ったときはお互い様」
4年前の広島土砂災害の時から合言葉にしています。
今回の災害で多くに人に助けられました。
次は僕が多くの人を助ける番です。
皆さん、その時まで待っていてください。