昨日投稿しましたブログ、非常に反響がありました。
皆さん見てくれてありがとうございます。
目の前で起きた「奇跡」を文字化したもので、もっともっと伝えたいこと、感じたことはあります。
ただブログという色々と制約がある中、精一杯書き出しました。
見てない人は見てみて下さい。
決断に困っている人、どうしたらいいのか分からない人たちに届いてほしい内容だと思っております。
勇気を出して一歩、すべては経験のために、豊かさのために。
あー、温泉行きたい。笑
タイトルにあります、悲しきお話。(大使の考え、思い)
ある日ある場所である男性がこう言います。(実話)
「飛騨には”ちゃんとした”大学がない。そうなると、高校で勉強した人たちは飛騨を出ていく。飛騨に若い頭のいい子が残らない。こんなこと言うとあれだけど、頭の悪い子だけが飛騨に残り、市役所などで働く。飛騨は大丈夫なのか。」
大丈夫だよ。
あなたが思ってるほど腐っちゃいない。
もういい加減、
「大学=頭がいい」
っていう考えやめませんか?
本当にこの話を聞いたとき気分が悪かったし考えさせられた。
直前に裕吾の移住もあったしね。
でも僕が考えたところでどうにもならない訳で。
大学に行ったからえらいとか、大学に行かなかったからダメだとか、なんの根拠もないことを大きな声でべらべら喋るあなたが飛騨にいることのほうが僕は残念だし、それこそ飛騨、大丈夫なのかと思う。
頭が良くて(この定義も良く分からない)大学に行ったとしても、本当にやりたい研究をしている子、こういう子は本当に素晴らしいし、飛騨を出た意味はあると思う。その後飛騨に戻ってきてくれたらそれ以上に嬉しいことはない。
飛騨では大学で研究という概念がないから。
でも、ただただ飛騨を離れてみたくて遊び感覚で東京の大学へ行き、だらだらと大学生活を送っている子、本当に大学へ行った意味があるの?
ないとは言わないけども、
僕が大学に行った理由が遊べるからということだったのもあり。
(でも行ったからこそ、この場に僕がいるし、出会えた人もいるし。振り返ると全てありがたい出来事)
飛騨を離れて大学に行く=頭がいい
っていう考えは本当に間違いだと思う。
僕は色々な人と出会ってきたけど、必ずしも大学に行っている子が満足して、大学に行けていることを幸せと感じている、そういう子は少なかった。
なんの根拠もないことを話すって恐ろしいことです。
いい大人には、あなたがたが発する言葉の重さってのを知ってほしい。
前回も書いたように正しいと言われていることが幸せとは限らない。
追い続けることも大事だけど、自分のモチベーションの変化だったりこの人信じてみようみたいな人に出会ったら、ついていってみてもいいのかも。
そうすることでしか見えない景色ってあるし、会えない人っていると思う。
そういう状況で出会う人っていうのは全てが刺激になる。
何にしても動かなければ出会えない人たち。
その場にずっと留まるのって、自分の進化を止めているんだな。
動き出すことは怖いことじゃない。間違いじゃない。
好奇心に逆らうな。