3月11日を考える、大使です。
2011年3月11日14時46分
忘れられない一日だ。
当時リアルタイムで中継映像を観ていた。
今思い返せば恐ろしい現実見ていたと。
死者 15,899名
行方不明者 2,529名
亡くなった15,899名の方は3月11日14時45分まで、
「明日は来る」
という当たり前の日常を過ごしていた。
1分後の14時46分。
誰もが死を意識した大きな揺れ。
その後、誰もが予想をしない大きさの津波が各地を襲った。
9年後の今日。
献血ルームの待合室でこの時間を過ごした。
黙とう。
いつだって思うことは一緒だ。
3年前にはあの場所。
陸前高田へ。
ちなみに、僕は「被災地」という言葉を使いません。
なるべく地名で言うように心がけています。
まとめるのは簡単だ。
でもその場所には確かな名前がある。
この目で見てみたいという気持ちだけで訪れた岩手・宮城。
想像を遥かに超える衝撃。
胸がゾワゾワしたのを今も覚えている。
少なくとも校舎の3Fまでは水がきている。
一体どれだけ大きな波がココを襲ったのか。
一瞬で失われる日常。
隣にいる人、愛すべき人、親族、親友...
思い出せるだけの大事な人が一瞬の出来事でいなくなるということ。
ツラすぎます。
明日が来る保証なんてないんです。
明日が皆に平等にくる確率はかなり低い。
だからこそ、今の一瞬をしっかりと悔いなく生きる。
そして僕が腐るほど言い続けている
伝えていく
ということ。
この事実を知らない世代が増えていく。
この事実を知っている人が減っていく。
僕たちが伝えていかないと、何年か後何十年か後に同じことがあると、
同じことになる。
人それぞれが思う「復興」に向けて、進むしかない。
復興の答えは誰も知らない。