最近オンライン飲み会してないなぁ、大使です。
戦争の話題になると色々な考え方があって勉強になる。
同時にめんどくさくもなる。
戦争により尊い命が奪われ、幼い命が奪われ、涙が流れ、絶望する。
その繰り返しをしている国がある。
僕には何もできる事がなく、テレビの中の凄惨な映像を見ること、ネットニュースから話題を拾うことしかできないです。
この記事は僕の独り言なので。
今話題というかよく聞くのが「ウクライナ募金」ですね。
Facebook、Instagram、Twitterを見ると、
「募金したよ~」
っていう投稿をよく目にします。
素晴らしいです。
しかし中には「募金以外考えられないからしない人の考えが分からない」「日本の募金額が相当少ない。これではよくない」「喫茶店行くくらいなら募金したらいいのに」
そんな声も。
まぁまぁ言いたいことも分かるけれどそこまで言わなくても笑
なんて思って見てます。笑
「募金=正義」
ではないです。
平和のために祈る。
それも立派な愛の表現方法。
募金する人って言うのは、祈るという事意外にまだできる余裕があるから募金という形をとっているだけで、そういう人の方が素晴らしいのは変わりないのです。
だから、
「募金をするべき!」
って押し付けるのはなんか違う気がする。
押し付ける人っていうのは、逆に日本のどこかが災害に見舞われた時、募金ってしているのかな。
募金は善意なんだから...
押し付けたら「善意」じゃなくなるしもはやそれは税金。
というか日本政府からの募金ってあるんですか?
それって税金のはずだから日本国民が全員募金した形になりますよね。
「〇〇円募金した」「〇〇万円募金した」
別にこれも公表する必要もないかと。
静かに相手の背中を押す方がかっこいい。
多ければすごいわけでもないし、少ないからダメなわけではない。
僕はじっと祈り続けます。
悲しい映像が流れれば胸が痛いし、涙が出そうになる。でも見る。知る。
今現実に目の前で起きている出来事を他人事として捉えることなく、いつでも隣国がミサイルをぶち込んでくる可能性があるということを忘れず、じゃあ撃ち込まれたとして、戦争になったとして、
僕にはなにができるんだろう。