まだまだ冷たい麦茶は美味しい、大使です。
久々に能登へ。
黒島漁港を見てスーちゃんのいるとうげマルシェへ。
しかし!
忙しそうにしてたのでまた後で伺うことに。
その間に近くにある總持寺へ。
一年前にも行きましたが、倒壊した建物などがそのまま残されていた時。
あれからだいぶ時が経ちました。
今の總持寺はどうなっているのか。
とりあえず、私の思い出が詰まった場所へ。

諸岡公民館。
毎週のように通い続けた当時の避難所ですね。
本当に数えきれないほどの思い出がココにはあります。
人生のハイライトの場所を挙げたら、間違いなくランキング上位に食い込んできます。
總持寺の近くにある市営?の駐車場に車を停めます。

タクシーの営業所。

おびただしい量の干し柿。
吊るすの大変やったやろな。

まだまだ色々転がっている中、進んでいきます。
ちなにも転がっている燈篭は2024年7月のストリートビューから変わってません。

このまま残す...わけもないと思うけどな。
震度7という揺れがもたらす影響の受け継ぐことは大事だけれども、こういうのは早めに直せないものかね。

これは時間がかかりそう。
だけどどうするんだろね。
10㎝くらいズレてしまっている。

拝観料を支払っていくぅ。
雨で濡れて可愛い柄になってる。

山門は問題なく立っている。
後々聞くのですが、總持寺の山門や本堂は倒壊を免れています。
これは2007年に発生した能登半島沖地震の後に施した耐震工事のおかげだそうです。
やはり日本の地震に対しての備えって世界一なんですね。
それにしても厳つい山門です。
残っててくれて良かった。

装飾も秀逸。
細かい装飾が所狭しと並ぶ。

普段は隠されている匠の技が板が外れていたこのにより露わになっていました。
ぜひこの技術をその場で見ていただきたい。

倒壊は免れたけれどそれでも被害は出ている。
これは補修できないねぇ。

あちら本堂。
あとで参りましょう。
香積台という建物へ行きます。

かっこ良すぎる「禅」の書。
令和三年と書いてあります。
2007年から13年間続いた伽藍復興工事が終了したことを祈念して書かれたそうです。
その三年後、あの時を遥かに凌駕する規模の地震が起こりました。
言葉が出ません。
ここにいては悲しくなるだけなので隣の建物へ。


かっこ良い書ですな。

や、山岡鉄舟の書だと!!!!!
幕末から明治期に活躍した剣客・政治家・禅僧!
幼少期は飛騨高山で育ち、ご両親のお墓は宗猷寺にあり、高山陣屋前には鉄舟の像があります。
こんなとこで飛騨と繋がっているとは。

お邪魔いたしました。

足元の石畳が面白い補修の仕方でした。
これは2007年の地震で割れたのかな?
それを綺麗にはめ込んだ?
妄想は自由。

こんなん落ちてきたらひとたまりもない...
地震当時、初詣の客足が少し落ち着いたタイミングでの地震。
人が少なかったのが不幸中の幸い。
倒れてきた伽藍の下敷きになった方が一名いたそうですが、命に別条はなかったそう。

さて本堂。
目の前にくると本当に厳つい。
立派すぎます。

見よこの芸術を。
触れることが奇跡。
マジで美しい。

しかし震度7に耐えれなかった壁もある。
まぁでも壁なら補修はそこまで難しくないでしょう。

内部も大変に美しい。
総本山的な立ち位置の寺社仏閣って豪華な造りではあるけれど、決して派手ではない。
厳かな雰囲気をそのまま残してくれている。

外側の彫刻がやっぱ素敵だな。
立体的でできたら脚立に乗って目の前で見てみたい。(頼むからやめて)

山門はどの角度でどの距離感で見ても圧倒的存在感。

倒れている。
これも倒れてきたらケガでは済まない気がする。

さてこの石碑。
驚きました。

それは裏ですよ。
表はこっ...

とのこと。
震度7の揺れが40秒~50秒続いた中、少しずつ回転してしまったようです。
香積台の方は「これは震災の遺構として残していくつもりです」と言っていました。
そうですね。
これは残してもいいかと思います。

やっぱどの角度で見てもカッコ良い...(しつこい?)

さて、そろそろ總持寺を後にしますか。

今回の旅のお供。
お世話になっているいるかホステルの加藤君と働いているジャン君。
ジャン君は台湾人。
好きな日本語は「知らんけど」だそう。

完全にパワハラですね。
労基がすぐに来てくれそうな職場環境。
これは見過ごすわけにはいきません。
なんてことはさておき、震災後初めてじっくりと總持寺を見ることができました。
改めて大変な自然災害だったんだなと。
まだまだ復興途中。
各地で地震が多発しておりますが、どこも被害がないように祈るだけです。
2026年も変わらずに能登へ遊びに行けるように祈るだけです。