ボランティアで右指の古傷が痛い、大使です。
本当は昨日帰る予定でしたが、急遽延泊し富津市の支援に入ることに。
延泊をしたことによりご迷惑をおかけした方々に謝罪を。
すいませんでした。
かなり直感を信じるタイプで。
3日間も入った富津。
日曜日に雨が降る前にやっておかないといけないことがあるような気がして。
どうかお許しを。
活動内容は住める程度の大きさの小屋がまるごと吹っ飛んで木材などが周囲に散乱。
ある程度集めたモノをトラックに載せて搬出。
というニーズ。
20人という要請だったので、多いな...という最初の印象。
自分にできることがあるのか。という不安がありましたが、結局、
被害に遭ったおじいちゃんとおばあちゃんとその隣のおじいちゃんと話すが9割の活動になりました笑
「うちの旦那は発明家でね。」
「けっこうすごい人なのよ!」
「家とか車は無借金だし。」
「色んな野菜を畑で育ててるの。」
「俺は自分でなんでも作るんだ。」
「ピザ窯も露天風呂もな。」
「この小屋なんて55万だぜ。」
こんな会話ばっかり笑
いいんです、会話することも支援なんです。
初めて来てくれたボランティア。
最初はボランティアの存在を疑っていたみたい。
でも最終的に小屋1軒分の木材等を運び出し、完了。
3週間も放置され、どうしようか悩んでいた時、ある日たった3時間で片付き、活動終了後にはまだまだ現実を受け入れられていないようにも見受けられました。
ま、僕はほとんど喋ってたので大きくは言えませんが。
今回のニーズも大きなトラック(4トン車)があったため3時間で片付きましたが、軽トラだったらたぶん1日の活動では運び出せなかったと思います。
結局トラックや軽トラが圧倒的に足りていないということ。
9月28日現在市役所で用意されている軽トラは6台。
6台ですよ!?
トラック軽トラが必要な案件は約200件。
いつになったら終わるんですか?
市役所もっと本腰いれて今がどういう状況なのかをちゃんと把握しないと。
レンタカーで軽トラ全国から借りてきなさいよ。
市の対応を見ているとまるで自分の町で起きた災害じゃないように感じます。
軽トラさえ用意していただければ運転できる人はたくさんいます。
ここ何とか頑張ってほしい。
話を戻すと、
支援した家の人が笑顔だったのが一番の印象。
これだけで行った意味があります。
近所のおじさんは言いました。
「来てくれるだけで本当にありがたい!こうして話をしてくれるだけでもありがたいし、嬉しい。」
「本当に毎日気が狂いそうだった。」
外からの支援の手が入らないと、住民は取り残されているのか。という不安になる。
僕たちと繋がっているよ!ってお知らせできただけでも言った意味があるかな。
「また遊びにおいでよ」
「次はイチゴを植えるから食べに来てな」
「私らが生きとるうちに来て笑」
「家ならいくらでも泊めてあげるから。」
僕たち支援側が言われて嬉しい言葉ばかり。
延泊してよかった。
これで富津市の支援農家の支援の日々が一旦終了。
6日間ずっと使い続けたワークマンの手袋。
高いだけあって頑丈やな。
お世話になりました。
(たぶん持ってるといいことあると思うから欲しい人いたらあげるよ!笑)
初日と最終日は市役所から富士山が東京湾越しに見えました。
日本の象徴。
見るだけで安心する。
ふっつてぬぐい。
ボランティアで知り合った過激派富津市民、みどりさんが何人かで立ち上げた団体「nigiwai」制作の新たな富津土産。
もともと「てぬぐい」は富津土産でも名物でもありません。
「名物がないから作った。」
過激であります。
代表のみどりさんはそう言います。
富津市民であり、富津のことを一番に思っているみどりさん。
本気で富津を立て直そうとしています。
お話をしているととても面白いし愛を感じる。
こんな女性が各町に一人でもいたら、何かあった時でも心強い。
僕も何かできることがあれば協力します。全力で。
富津は言っちゃえば何にもない。
何にもないけれど、富津のことを愛している人が多い。
地元のことを愛す気持ちさえあれば、なんでもいいよね。
また時間ができたら富津に遊びに行こう。
ひとまず、合計6日間の支援、終了。
ps
埼玉からこの人がきました。
サイトウ。
であります。
最近会ったけど、一緒に活動出来て嬉しかったよ。
ありがとう!!!!!