時代と共に慣れた景色が無くなると悲しい、大使です。
2024年7月31日
岐阜市の、いや岐阜県の歴史の一つが終わりました。
「岐阜高島屋 営業終了」
であります。
ついにこの県から百貨店が消えました。
全盛期、多くの百貨店があった岐阜駅前。
さ、最後の砦が...
この高島屋、実は亡くなったばあちゃんがずっと働いていた百貨店でもあります。
子供の頃はよく遊びに行った記憶があり、思い出の場所であります。
いつかはなくなる。
そう思ってはいたし、みんな思ってたと思う。
だけどもいざなくなると...
寂しすぎるものです。
閉店した後ではありますが、その姿を見てきました。
近くの駐車場に停めると、早くも”閉店”を感じます。
営業時も寂しい感じは出ていたけれど、閉店になったと同時に寂しさは増します。
灼熱の岐阜市中心街。
最近?できたいわゆるタワマンが存在感を放ちます。
まさか柳ケ瀬にこんなに大きなマンションができるとは。
なくてもいいけどね。
さて、高島屋の”元”入口へ。
ぬあああああ
閉店は本当だった~
にわかに信じられなかったのですが、この目で見て確信に変わりました。
時代は流れます。仕方のないことです。
どんどん中の商品たちが運び出されていきます。
写真を撮っているのは私だけではなく、通りかかった人もバンバン写真撮っていきます。
そりゃそうだよな。
みんな悲しいんだよ。
あって当たり前な存在だったんだから。
柳ケ瀬・高島屋と言えば自転車である。
数は減ったが、まだ健在である。
この人たちはどこへ行っているのか。
外されていた。
残っていた。
超絶全盛期は水が流れていたんでしょうね。
残っていた。
高島屋と言えば、って感じですね。
もう”旧”岐阜高島屋前になっておる。
切ない。
工事終了の8月には果たしてどうなっているのか。
さすがに解体まではいかないか。
残っていた。
残らなさそう。
ごっそり商品はなくなってました。
盗まれたみたいな言い方をしてしまいましたね。
ウインドウショッピングのウインドウが外されてました。
もう切なすぎますね。
47年間人々に見られ続けてきたウインドウ。
商店街まるごと屋根があるのは買い物客にとっては嬉しくって。
商売をしている人にとっても屋根のある場所で商売ができる事はステータスだったみたいですよ。
この岐阜高島屋は平成3年には売上が249億円あったみたいです。
2023年には132億円に落ち込み、2024年、閉店。
閉店に追い込まれる理由ってたくさんあると思います。
近くに駐車場付きの大型ショッピングセンターができれば、その”終わり”へのスピードは一気に加速します。
若い人間は大都市へ。
まさにこの時代の縮図みたいな出来事が目の前で起きていたわけです。
そして今回の高島屋閉店の際、問題になった”アレ”も見ました。
47年間ご苦労様でした
この文言が、「なぜ上から目線なのか」と話題に。
まぁ確かにご苦労様でした以外にも表現方法はあったよな。
そうなってくるとこれを考えたのは若い世代ではないことが容易に分かります。
ちょっと残念だよね。
思い出はいつしかお金に変わったりする。
お金に変わらなかったりしても、姿かたちを変えてしまう。
今見ている光景もひょっとしたら一年後、なくなっているかもしれない。
人も物も”なくなる”ということは非常に寂しいことである。
今後、この高島屋跡地は何になるのか。
何に変わるのか。
もうなくなってしまったので仕方なし。
今後にものすごく期待をしましょう。
とにかくみんなのためになるような場所になればいいよね。
47年間、本当にお疲れさまでした!