明日から数日間飛騨地方に入り浸る予定です。
6月26日の「露天風呂の日」が楽しみで仕方ありません、大使です。
2005年に海津町、平田町、南濃町が合併し「海津市」になりました。
町としてはかなり新しい町ですが、岐阜県を語る上でいや、日本の歴史上最も重要な出来事(工事)が起きました。
大使ツアー史上に残るすごい充実度。
【木曽三川分流工事】
またの名を木曽三川治水工事とも呼びます。
国営木曽三川公園の治水タワーから撮影しましたこの写真。
ひとつの川が流れを三方向に変えている写真ではありません。
ひとつひとつ違う源流の一級巨大河川が一か所に集まっている様子です。
左...木曽川(源流、長野県鉢盛岳)
やがて川は伊勢湾へと流れます。
何がそんなにすごいのか。
まずは海津市の位置。
岐阜県の中で一番海(伊勢湾)に近い市です。(海まで20分あれば着きます)
内陸県で唯一「海」がつく市です。
これを聞いただけだと
「いい町じゃん」とか「岐阜なのに海まで20分とかすごくない?」
などなど、ポジティブなことが多く挙げられると思います。
しかしその昔、遡ること江戸時代です。
この時代は悲惨な状況でした。
教科書でも習ったいわゆる宝暦治水(宝暦治水事件 - Wikipedia)が行われました。
簡単に言えば上図のように河川がくちゃくちゃな状況を綺麗にまとめましょう。というもの。
本当に簡単に言いましたが、当時は機械も便利な道具もなかったので川の流れを変えるのは難工事でした。
そうそう、そういえばこの辺りは輪中と呼ばれる土地でした。
川の水面より低い位置に生活区域があったため大雨があるとたびたび堤防が切れ、甚大な被害が出ていたと言われています。
今でも海津市のほとんどは海抜0mの場所がほとんど。
0m以下の場所も点在しています。
そんな状況だったので幕府が三川分流の工事を当時もっとも勢いがあった薩摩藩に命令しました。
薩摩藩・平田靱負(ひらたゆきえ)という人物が指揮をとり治水をしましたが、あまり成果を挙げることはできませんでした。ここではまだ三川分流できていません。
さらに多くの犠牲者を出し、成果を挙げられず、靱負は全ての工事が完了した暁に切腹します。
その後、明治時代に入り長らく放置されていた三川分流工事を「お雇い外国人」オランダ人のヨハネス・デ・レーケが請け負います。
近代的な土木工事が可能となったこのころ、着々と工事は進められました。
明治20年から工事着工、オランダから運ばれた木曽川丸という船で河底を掘り下げ、工事中には土地を失う地主の土地買取拒否や、大雨や台風によるたびたびの堤防の決壊により難航しましたが、明治45年に全行程が完了しました。
なんと25年の歳月をかけ上図のように三川を完全に分流することに成功、こうして木曽三川分流工事(治水工事)は完了しました。
俯瞰写真↓
簡単にざっくり説明しましたが、3つの河川が一か所に集まる場所なんて世界を探してもないような気がします。
そんな素晴らしい場所が日本に、岐阜県にありながら遠足で行った以来、アウトレットに行くために通過ばかりしていたので空いている時間を見つけて勉強に行きました。
そして、ブラ大使。
観光の開始は海津市役所商工観光課です。
肝心の市内観光マップが観光客が手にする棚にありませんでした。
結局職員に声を掛け、マップが出てきましたがこれではいけませんね。
ちなみに「霧島」という文字もパンフレットがありますが、薩摩藩が置かれていた鹿児島県とは友好姉妹都市です。
続いて訪れたのが「海津市歴史民俗資料館」です。
この立派なつくり。
最初見たとき大きさにビックリしましたよ!
入館料は大人310円。
海津市の紹介や、輪中の説明、輪中の中での生活などなどなかなか見ごたえのあるラインナップです。
歴史を学んだあとは木曽三川公園へ移動です。
道中この景色!
なんだココ。
もうすでに海津の魅力に取りつかれている...
公園の前に海津を語る上で避けてはいけない場所。
「治水神社」
海津のスター平田靱負を祀っている神社。
毎年例大祭には鹿児島県からも多くの方が神社に来られます。
いよいよ数十年ぶりに国営木曽三川公園へ行きます。
ちなみに日本一広い国営公園です。
国営公園なので花の手入れなど抜かりないです。
しかし、
(写真:杉浦允紀)
デパートの屋上や古びた遊園地にあるアレ、乗れます。
なぞのオブジェも。
マスコットキャラクターか?
「ままず定食」
海津市では昔から
なまず、うなぎ、コイが豊富に捕れたそうです。
味は...
淡白な白身魚!これにつきます。
なまずだよって言われても「ふーん( ´_ゝ`)」って感じです。
美味しいですよ!!!
さて、治水タワーにあがりますよー
パノラマ写真です。
ものすごいところに立地してますね!
右側の堤防は千本松原。
右側の揖斐川と真ん中の長良川を締め切りした後に松を植えたそうです。
川と川の境がこんなに細いってすごくないですか?
すべてはここに携わった偉人たちのおかげです。
タワーを後にして海津市内を散策。
海津市は昔から洪水とは切っても切れない関係でした。
そのため、家も石垣の上に築いたりと洪水対策もなされました。
この建物は「水屋」といって母屋よりもさらに高いところに建てられ、お米や食料、家畜など大事なものの保管庫としての役割をしていました。
水は避けなければならない考え。
(神岡町牛ヶ口水屋)
なんでしょう、両方の役割を知っているものとしては複雑な気持ちです。
こちらは生活のために、使われるんですね。
水は生活の一部の使い方。
海津にはこんな立派な石垣の上に家が建ちます。
こんな家がたくさん。
大きさがピンと来ないと思いますが、
(写真:杉浦允紀)
こんなにデカいです。
城ですね。
写真には撮ってませんが家もほぼ同じ方角を向いています。
水害をなるべく小さく抑えるためにこのような工夫がされました。
先人が町を形成したんですね。
少し疲れたので温泉へ。
水晶の湯は展望が中部イチの露天風呂を持っています。
写真は玄関前から。
(写真:杉浦允紀)
風呂の写真は撮れないので。
展望でしょ?綺麗でしょ?
ここ、シャトルバスでしか行けないんです。
レア。
夜景とか綺麗かもね!!!
場所は移動して...
井戸水!
???
大垣で水を汲みます。
国道沿いの神社の井戸水は岐阜県の名水指定。
この湧水量はすごい!
そして美味いです!
この後は恒例の鵜飼です。
(写真:杉浦允紀)
一眼レフはいいですね。
写真が綺麗。
鵜飼の撮影はかなり難易度が高いと思いますが上手に撮ってくれました。
平日ならこんな写真撮れます。
(写真:大使)
(写真:杉浦允紀)
運が良ければパイロットが手を振ってくれます。
それだけ近い場所を飛びます。
まだまだまだ魅力発見旅は続きますよ。
魅力に尽きない県です。