流れるウインカーあんまり好きじゃない、大使です。
門前町に用事があり、能登へ車を走らせましたが、用事は昼過ぎから。
朝早くから行動しているので意外と時間がある。
ということで、今まで一度も足を踏み入れていない輪島市河井町へ行くことに。
ここは何を隠そう日本三大朝市・輪島朝市がある場所で、私も一度行ったことのある場所。
しかし元日、未曽有の大災害が発生し、河井の町を不運にも大火が襲った。
消火をしようにも、発災直後は道が寸断され消防車等の緊急車両が通ることができず、火は風に乗って北側へ延焼。
輪島朝市通りを含む約5万㎡、東京ドームほぼ一個分が全焼した。
風という強力なターボを付け、水という厄介者がいないため、火は瞬く間に燃え広がった。
もうすぐ発災から4か月。
やはりそれだけの時間が経つと道に凹凸はあるものの比較的スムーズに走ることができる。
海が近くなるにつれて景色は一変。
建物は倒壊し、道路は波打ち、町の時は止まる。
もはや「能登半島地震の象徴」と言わんばかりの報道をされたビルが目の前に現れる。
超絶衝撃的な映像である。
民家の倒壊は能登半島にいれば慣れた光景だが、ビルの倒壊は見ることがない。
なかなか大きなビルで、7階建て。
手前の車と比べてみても大きさは一目瞭然である。
ビルの根元は完全に地中に埋まっている形で、地震の大きさ、衝撃の大きさを物語っている。
周囲を見ても倒壊しているビルはこの一棟だけ。
そう考えると耐震的なものが十分でなかったことは一目瞭然だが、目の前に寝転がったビルが現れるとだいぶ驚くし、鳥肌が立つ。
このビルの下敷きになった民家では人が亡くなっている。
何度訪れている町だとしても、人の死が身近にある町であることを決して忘れてはならない。
場所を海沿いに移す。
車を停めると、そこは目を覆いたくなるような景色が広がる。
焼けた匂いが微かにまだ漂う。
言葉は悪いが見えている景色は「戦時中」という言葉が当てはまるような気がした。
4か月が経とうとしている。
いつまでこの景色を”残しておく”つもりなのか。
ここで商売をしていた人や、住んでいた人はどんな気持ちなのか。
早く壊して綺麗にしてほしいのか、はたまたそうでもないのか。
ただ一つ言えることは、この景色を見た人間の心は激しく動かされる。
そして揺さぶられる。悲しくなる。言葉が出なくなる。鳥肌が止まらなくなる。
ちょっとだけ焼けた町に踏み入ってみた。
散らかったスペースには整えられて置かれている陶器類が。
思い出の品かな。ものすごく寂しそうに悲しそうに見えてしまった。
どのような想いでここの整理をしたのだろうか。
炭なのか土なのかが分からないが、まだ中に何かが入ったまま。
ビルって燃えてしまうとこうなるのか。
もちろん何屋さんだったのか、どういう看板があったのかなどは、過去の写真を見ないと分からない。
4か月も前からこの景色が変わらないって、ちょっと異常な感じがします。
もっと復旧が進んでもいいはずなのに、それを邪魔するものって一体なんなんだろうか。
発災当時、輪島市のライブカメラ映像を見ながら火が回るのを見ていた。
火の大きさに対しての消防車の灯りが少ない。
定期的に見ていたけど見るたびに延焼範囲が広がる。
「あぁぁぁぁぁ...地獄絵図だ...」
そう思い、自分自身も飛騨の余震に怯え眠った。
翌日の報道番組で見た景色は、想像を遥かに上回る衝撃的映像だった。
先日その現場に実際に立ったわけだけれど、画面上で受けた衝撃以上の衝撃を受けた。
文字数が多いのでここまでにします。
明日も続ける予定ですが、写真を見て気分が悪くなったり、嫌になった方は明日は見ないで下さい。
それでも続けて書いていく責任があると思っていますので。
私は発信をしなければならない。
忘れられないために。