目の下を蜂に刺された、大使です。
【12日間の感謝とご報告。】
令和2年7月豪雨。
そんな名前が付いた今回の梅雨。
九州ではすでに堤防が決壊、川が氾濫して甚大な被害が出ていた。
7月8日岐阜県内にも大雨特別警報が発令され、その日は雨の音で午前4時に起きた。
頭をよぎったのは、
「この時間にこの雨音で起きた。何かがおきているかも。」
予想は的中した。
国道が流され、線路は寸断。
家への土砂流出、山が崩れた。
「早く動かなければ。」
梅雨明けに九州行きを決めていましたが、それどころではない。
地元・岐阜が被災した。
自分にできることを精一杯しようと思った。
今までの経験をこの土地に還元しようと。
コロナの影響で人の流れも滞っている。
「待ってるだけでは何も変えられない。」
でも1人でやるには限界がある。
そう思って頼ったのが、SNSだったな。
今までに繋がったご縁に頼ったわけです。
そしたらさ、予想する500倍の反応があったわけです。
正直、驚いた。
色々な人と色々なやりとりをした。
こんなに頭と体を使ったのは生まれて初めて。
しかも見ず知らずの人から連絡がきたりして、その後手伝いに来てくれたり。
せめて支援金だけでもとお金で支援してくれたり。
こんなに生きていることを実感したことはありません。
心から感謝いたします。
本当にありがとう。
昨日の現場。
こんなに人がいるけど知ってる人はたった4人。
全部現場で合流した人。
すごいよね、出会いって。
本当にありがとう。
一度しか会ったことない仲間も長野から急遽来てくれたりしてさ。
ひたすら元気を届ける人たち。
本当にありがとう。
「炊き出し協力してくれませんか?」
その一言で”ひとり”が動き、そのひとりが6つもの農家と企業を動かした。
これ以上に素敵な繋がりはあるんだろうか。
長野からも支援のプロが手伝いにきてくれた。
4時間以上もかけて。
本当にありがとう。
いきなりSNSで連絡をもらい、次の日には埼玉から来てくれたり、
大好きな宿の2人も来てくれた。
経済面でも支援してくれて、行動にも変えてくれる。
どんだけ素敵なの。
本当にありがとう。
高山で大好きな宿の2人も。
何枚か写真撮ってさ、その中に僕がいるっていうことがもうたまらなく嬉しいんだ。
本当にありがとう。
一度来てくれた仲間が何人かを呼んでチームになった。
支援の輪が広がった瞬間。
本当にありがとう。
ここまでに現場で協力してくれた大好きな仲間は、21人。
経済面で支援してくれた人、8人。
物資提供が4人。
SNS等で発信してくれた人、数知れず。
僕の「岐阜が被災した。助けて。」
という呼びかけに対して本当に多くの人が協力してくれました。
言葉じゃ上手く伝えられないけどさ、本当にありがとう。
僕だけではどうしようもできなかった。
支援の輪が広がっていくのを実感することができた12日間。
長くて短かった12日間。
とりあえず、連続して支援するのは今日までとします。
これからは状況見つつ、動いていきます。
もちろん手伝いに来てくれる方、遠慮なく連絡ください。
僕が動けないときなどは直接現場へ向かってもらいます。
これまでの活動で多くの住民と顔なじみになりました。
安心してください。
現状としましては、高山市内下呂市内の復旧は順調に進んでいるものと考えます。
これも来てくれた皆さんのおかげだ。
1人で発信し、1人で受け付ける。
人も物も。
これほどまでに大変だとは思わなかった。
嬉しい悲鳴でもあるし、複雑な気持ちもあった。
また今回こうして新しい出会いがありました。
皮肉にも災害が繋いだ。
災害がなければ知ることができなかったこともある。
日本人の絆。
僕は幸せですね。
本当に感謝しております。
少しだけ休憩して、また動き出そうと思います。
九州各地は岐阜に比べて被災範囲が広い。
災害に大きいも小さいもないけど、範囲が広いんだ。
これからの世の中の動向も気になるけど、GO TOキャンペーン出来るのにボランティア募集が県外から受け付けてないのは納得できない。
僕は行きますよ、九州。
職場の皆さんに大きな迷惑をかけてしまいます。
というかこれまでの12日間でもかけてしまった。
ごめんなさい。
けど、これはやりがいなんです。
なんとか理解していただきたい。
まだまだ書きたいことたくさんあるけどさ、これくらいにしておきます。
シンプルに、
みなさん、ご協力本当にありがとうございました!