好きな音は缶ビールを開ける時の音、大使です。
先日、令和6年能登半島地震の被害に見舞われた能登半島の災害支援に行ってきました。
場所は輪島市門前町です。
震度7を記録した場所です。
震度7って...
考えるのも恐ろしい。
というか想像ができない。
きっと自分が震度7を経験したとしたら、何もできないだろな。
飛騨高山から富山。
友人の宿に泊めさせていただき、次の日5時に出発。
東回りで行くとかなり混むみたいなので西回りで。
西回りで行っても混むし遠いのですが、志賀町を超えると道路がまともじゃない。
まともじゃないというのは、平面の場所が少ないという事。
マンホール等も浮いているためスピードが出せず、予定通りには門前町に到着しない。
そして輪島市に入ると景色は一変する。
海岸線は隆起し、現地の人は海が遠くなったと言う。
そして門前町中心街へ。
ナビの案内通りに行ったが、
「ほ、本当にココ通るのか?」
そう言葉が漏れてしまうほどの景色が広がっていた。
無傷で建っている家は皆無。
大なり小なり傷ついている。
赤紙がメイン。
赤紙とは、「これ以上ここには住めません」という残酷な知らせを伝える紙である。
それがほぼ全ての家に貼られている。
今回のチームがいる諸岡公民館へ。
ここも被害から逃れることはできない。
しかし避難所として開設されている。
少ない人数ではあるが、いわゆる赤紙を貼られてしまった家に住めない人が身を寄せる。
いたいた。
長野市から炊き出しチームがやってきました。
私は2019年の千曲川災害で出会いました。
しっかりと真空パックに。
こういうとこは本当にしっかりしてくれています。
食のプロですからね。
調理していない状態でも美味しそう。
ちょっと時間があったのでその辺をフラフラする。
すると一つの家族とフラッと出会う。
窓が割れているのでブルーシートを張りたいが、人がいない。
「もちろん、やりましょう」
炊き出し支援で行ったとはいえ、やることは1m歩くたびに見つかる。
一つ家族のニーズに応えることができた。
この先家は壊してしまうらしいが、こうして外観を整えておくことで、人の出入りが分かり、火事場泥棒に入られにくくできる。
これ、意外と大事な事なんですよ。
壊してしまうからこれでいいや。
じゃなくて、
壊してしまうまで綺麗に保っておきましょうか。
が私が思うベストな支援である。
100人いたら100通りの想いがある。
できる限りその人の望むように支援をしたい。
このお宅で見つけたのは白川郷の油絵。
震度7の揺れにも耐え、我々を迎えてくれた。
心が震えた。
この家は倒壊を免れましたが、一歩外に出れば...
この様相である。
冷静に考えて下さい。
これ、約一か月建った場所です。
全く手が付いておらず、人もいない。
復興にはかなりの時間を要するでしょう。
道路左奥にいらっしゃる方は実家を見に来たそう。
この日初めて全倒壊した家を目の当たりにし、茫然としていた。
母親が住んでいた家ですが、施設に入っていたため人的被害はなかった。
「不幸中の幸い」
そんな言葉をポロっと仰ってたけれど、まさにその通りだな。
不幸中の幸いとはまさにこんなシチュエーションがピッタリとハマる。
時間はかかるけど、どうかお元気で過ごしてほしい。
こんな感じに倒壊した家々が道を塞ぎ、重機はおろか普通の車が入ってこれない状態の場所がたくさんある。
道も悪くて理想的に支援が進んでいないのが現状かな。
炊き出し支援をする公民館へ戻る。
パパが焼きそばを焼いていた。
「毎回どれだけ必要か分からないから1,000人分は用意してくるんだよね」
ハンパない。
それを5人で提供しようとしていた。
我々が加わって8人。
少しはマシかと思っていた。
が、
現実はそうもいかずバタバタ…
うんまそう~
真空パックされていた煮物が息を吹き返していた。
炊き出しの様子はこんな感じ。
ライブパフォーマンス、大事。
その場で作っているという愛をみんなに見てもらうのが大事。
明日は今日の続き。
心を温めたお話をしたいと思います。