高級ホテルで朝食食べたい、大使です。
連続投稿2,001日目はまたまた能登!
が、
能登支援は一区切り...
そんなことを言った記憶があります。
が、
一区切りできんかった~!!!!!
ってことでまた行ってきました。
初能登半島の友人を連れて行ったので能登半島の北側へ。
横たわる7階建てのビルはいつまでそこに?
解体するしか方法はないと思いますが、話が進んでいるのかいないのか。
お二人が亡くなった潰された民家は片付けが進んでいた様子でした。
いつ見ても地震の大きさを感じられる光景。
車を進めます。
着いたのは輪島朝市。
あまり言いたくはないが、”跡地”という言い方は適切なのか?
まだまだ輪島の人たちの意思はここに残っている気はする。
”跡地”と言うと全てが終わってしまった感じがあるので、皆様、輪島朝市と言い続けましょう。
しかしこの景色を見ると”跡地”という言葉が出てくる...
もう7月です。
高温に熱せられた何かが落ちたのでしょうか。
アスファルトが焼けてました。
恐ろしいくらいの熱だったでしょう。
こんな扉あったかしら。
前は見てないだけか。
ネガティブな景色ばかり広がる朝市ですが、写真左側には重機が。
前回訪れた時には、「重機とかいつ入るんやろか~」って思っていましたが、ようやく復旧・復興へ進んだようです。
もちろんインフラの復旧が最優先。
ここに重機が入ったという事は、割と回復していっているという事でしょうか。
工事関係者以外立ち入り禁止の看板もあったし、規制線も張られていたし、おそらく進んでおりますね。
ひとまずは安心材料です。
なんでこんなとこに割れた瓦が落ちてるんやろな~
まとめたらいいのに。
そんな余裕もないのかな、きっと。
って思ったら熱でくっついてました。
なんでもくっついちゃうのか...
火災って恐ろしですね。
きっと人間はこの場所に立ってられなかったでしょうね。
熱源側は全て焼けているか溶けているか。
電柱奥には数軒家がありますが火は届いてなさそうですが室外機のホースや網戸は溶け、ペアガラスの一枚が割れていたり、外壁が熱で変色していたり。
当時のことを思うと巻き込まれないかどうか、本当に心配だったでしょうね。
我々には到底分かるような気持ちではありません。
輪島朝市へ前回訪れたのは4月21日。
二か月以上経ち、「寒い」という感覚から「蒸し暑い」に変わりました。
季節は確実に移ろいでおり、各地の復旧も復興へ向かって確実に進んでおります。
国の支援がない、県は何している。
そんな時間のかかることを待っていても虚しく時間が過ぎていくだけ。
できる事を着々と、淡々と。
まだまだ私は能登半島を忘れたわけではありません。
これからもどんな形であれ、能登には行くと思います。
その都度、現地のリアルな様子をお伝えできればなと思ってます。
さて、輪島市門前町道下地区の諸岡公民館解散式へ行きましょうか。