勝手に岐阜県観光大使

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能登半島地震のブログ写真展③

久々のマルエフはやはり美味い~!!!!!大使です。

 

 

さて今回が最終の能登半島地震ブログ写真展。

飽きずにご覧くださいませ~

のと里山街道の不通区間が最近開通。(七尾市 4月2日撮影)

ズタズタになったのと里山街道を低速で走る。(七尾市 4月2日撮影)

空中に浮いてしまったガードレール。土台がごそっと流れた。(七尾市 4月2日撮影)

元日から残されている車。人は無事だったのだろうか。(七尾市 4月2日撮影)

不運にも能登半島地震の象徴となった転倒ビル。
下敷きになった家の方が亡くなってしまった。(輪島市 4月21日撮影)

鉄だけ残った焼けた車。もう4ヶ月ですよ。(輪島市 4月21日撮影)

戦時中かと思うくらいの光景。まだ焦げたニオイが。(輪島市 4月21日撮影)

なんだか、感情を忘れてしまう光景。(輪島市 4月21日撮影)

虚しさだけがそこには残ります。(輪島市 4月21日撮影)

人も町も変わり果てた朝市通り。(輪島市 4月21日撮影)

輪島塗、伝統工芸品を扱うお店も...(輪島市 4月21日撮影)

こどもの日は間近。寂しさもあり、希望もある。(輪島市 4月21日撮影)

ん~、本当に悲しい。
日本三大朝市同士、一刻も早く復興してほしい。(輪島市 4月21日撮影)

友人の落語家・桂枝之進と共に笑いの支援活動をした。(門前町 5月11日あやめし撮影)

ワイナリーのボランティアにも参加。貴重な体験を。(門前町皆月 5月19日撮影)

ここでブログ写真展終了にさせていただきます。

多くのご来館ありがとうございました。

毎回毎回心が揺さぶられる光景を目の当たりにし、毅然とした態度をしていたつもりではありました。

しかし、心はザワザワしており、毎回悲しい気持ちになったり、言い表せない不安があった。本当にこの支援が適切なのかをずっと考えていました。

もちろん”適切”とか”正解”なんてのはないというのは分かっています。

でもやるからには自分なりの正解や納得のできる支援を長く長く続けていきたいと思っていました。

~自己満足~

そんな言葉が当てはまると言えばそうかもしれません。

そうなのですが、結局自分が心から満足しないと誰も笑顔にできないし、幸せな気分にできない。

幸せにはできないですからね。幸せな気分、気持ちにできるだけ。

それは足を運ぶだけでもできるし、重い水を運ぶだけでもいい。お話をするのでもいいし、ご飯を一緒に食べるのでもいい。

 

このブログで発信してきた能登半島の現状、能登半島の人たち、そして何より「災害支援って難しいことではないんだよ」ってこと。少しは伝わったでしょうか。伝わらないことの方が多いかもしれません。

伝えるのが苦手で、申し訳ないです。

 

6月23日で能登半島地震の災害支援を区切りを付けようと思っています。

それまで見守っていただけると嬉しく思います。

そして少しでも興味を持っていただけたら、ブログを続けてこれた意味を感じれます。

 

能登半島地震の被害にあった人たちは、今でも不自由な生活をしています。

ただ、仮設住宅が出来上がり、入居が進んでいます。

ようやくマイナスからゼロになりました。

いや、まだマイナスなのかもしれません。

我々にできる事は、忘れないことです。

そして息の長い支援を続けていくことです。