勝手に岐阜県観光大使

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3月6日の能登半島支援報告②

セロリはそこまで好きではない、大使です。

 

 

昨日の続き。

ともくんのおじさんの家を出て北へ向かいます。

 

この道は田んぼの土を持ってバイパスを造っています。

すごすぎる。

バイパスを造らないと北側へ行くことができない。

 

それだけの土砂災害である。

山からの土砂で家は押し流されている。

まだ行方不明者がいるらしい。

そして残酷なのが、左足だけ、見つかっているらしい。

しかし土砂災害警報が発令していることから捜索は中止。

ん~

本当に早く見つかってほしいな。

 

大谷地区は令和6年能登半島地震の震源地。

まさに一番最初に揺れたその場所。

正月、たくさんの人が帰省していた時に襲った大地震と土砂災害。

これは避けようにない。

 

寂しそうに風に揺られていたブランコ。

本当に切なくなった。

残酷だよね。

結局自分は何をしても当時のことを経験できるわけではなく。

この光景を見て当時を想像するしかできない。

その想像が本当に恐ろしいのです。

ブランコの奥のベンチは天板が外れてます。

天板持ち上げようとしましたが、石なので一人ではとてもじゃないけど持ち上げれない。

それを動かすだけの力を持った地震。

 

茅葺き集落を持つ県民として悲しい光景。

茅葺の建物は免震構造と言われています。

しかしこの揺れには耐えられなかった。

茅葺き屋根って相当重いですからね。

 

地域唯一のスーパーも例外なく押しつぶされている。

今この辺りの人は細い道を通って珠洲の町なかのスーパーへ行ってます。

我々災害支援者がお昼ご飯を必ず用意していく理由の一つに、食べ物を入手できない人たちの食べ物を奪うことのないように必ず準備していきます。

災害支援に行かれる方、昼飯など必要物資は必ず用意していってください。

 

大規模の土砂災害。

目を疑う。

 

発災当時がそのまま残る家。

家から出てくるのも大変だったでしょう。

その恐怖は我々では想像もできません。

 

能登半島北側は海岸隆起もある。

海岸隆起+土砂災害の光景が写真に入る日が来るとは。


まだ片道が塞がっている。

お気づきかもしれませんが、ここまでの写真で重機が写ってないのです。

それだけ復旧が進んでいない地域。

それも考えるだけでゾッとするし、能登”半島”という地形の弱さも実感する。

 

そろそろ時間的にも高山へ向かいます。

次は夏に来ます。

そのころまでには少しでも復旧が進んでいるといいな。

 

我々は珠洲市街、飯田港へ行ってみる。

 

ん?

 

あれれ

 

ここは津波が襲った港。

津波の高さは4mを超えた。

 

恐ろしすぎる。

我々は津波の痕を探したが見つからなかった。

そりゃそうか。

4m以下の場所で探していたから。

我々の想像の遥か上だった。

 

埋め立てた地面は陥没し、歩くのも怖い。

そんなとこ行くなって話ですが。

 

港が下がっているのか。

海が動いているのか

現場で見るとよく分からない感覚になる。

地震が起こり、津波警報が出る前にすぐ津波が襲ってくるという聞いたこともない大災害。

 

珠洲市はインフラの復旧がまだまだ。

全域で水道は来てません。

 

もう3か月目なのに。

改めてこの大地震の被害の大きさを実感します。

 

この場所で警察の職質を受けました。

ただ、「怪しいね、なにやってんの?」っていう感じではなく、世間話。

「普段パトカーが2台とかの地域に全国各地から100台以上が集結している」

「我々が警らするということで火事場泥棒の様な犯罪がなくなればと思っています」

「実際にオーバーステイの人が検挙されている」

そんな話を風が吹く寒い中立ち話。

山口県警の方でした。

1ヶ月以上現地にいるらしい。

奥様は「こんな仕事はめったにない。いってらっしゃい」って背中を押してくれたみたいですね。

 

現地は本当に長期的な支援が必要になります。

お時間のある方、ぜひ一緒に行って皆さんの力になりましょう。

 

そうそう、話ズレますが、

珠洲市のよくテレビに出るライブカメラに我がロッキーが写りました~

ここだったのか!って感じ。

現場からは以上です。