勝手に岐阜県観光大使

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この時期は悔いなく生きるということに注力したい

藤井総太くんおめでとうございます~、大使です。

 

 

将棋全く分からないんだけれどね、これだけ老いも若いも盛り上がっているということは本当にすごいことなんだろうな。

まさに異次元ですね。

岸田様、これが異次元と言うことです。

あなたのしようとしていることは本当に異次元でしょうか。

 

 

大雨の音を聞くと思い出します。

またこの時期が来たんですね。

毎年毎年来るんですが、一度冬を経験すると忘れがちになります。

 

2020年、熊本県人吉市を襲った大雨。

球磨川が氾濫し、大勢の尊い命が奪われました。

奪われたのは命だけではなく、生活、仕事、笑顔、希望、将来...

 

それらは自然の猛威の前に無力である。

 

インフラは簡単に破壊され、模型のように。

「ここには橋があった。」

そう私が現地へ出向いたときにはすでに過去形です。

 

この光景を一言で表すとしたら、衝撃的。

心に太く長い釘を打ち込まれる感覚。

息をすることも忘れ、そこに”普通の生活”があったことを思い出すのも難しい。

 

こんな光景はたくさん見てきた。

たくさん見てきたけれど、慣れるものではない。

 

毎回毎回とてつもない絶望感に襲われる。

さっきも書いたが、数日前までは”普通の生活”があったんだ。

っていう感覚が出てくるには相当時間がかかる。

 

 

自然は教えてくれる。

今の生活なんてのはティッシュようにうっすいもの。

水がこれば濡れて使い物にならず、風が吹けば飛ばされる。

 

当たり前のように感じているこの生活は当たり前ではなく、明日消えてしまうようなうっすい希望の中で生きている。

うっすい希望だからこそ、人々は希望を抱き、夢を抱き、旅行の計画を立て、ご飯を食べに行く予定を立て、明日が当たり前にくると思っている。

まぁ私もそうなんだけれどね。

 

 

でも各地に出向いて気が付いた。

当たり前に明日なんてのはこない。

 

宝くじが当たる、良い車に乗る、良い料理を食べる...

どれも贅沢に感じるが、明日がくるということ、明日に命が繋がることが一番贅沢。

 

当たり前のように当たり前じゃない命に感謝しながら生きていくことが、自然に対する恩返しなのかもしれない。

自然は癒しを与えてくれるけど、時には一瞬で絶望も与えるんです。

 

 

目を閉じて。

一番大事な人を思い浮かべてみましょう。

 

その人が一夜にしていなくなることを想像できますか?

できないでしょ?

 

想像もできないことが起きるかもしれないんです。

一日一日を大切に、一人一人大事な人との関係を大切に。

 

悔いなく生きる。

よく使われて簡単に使われて大切さを失った言葉ではありますが、最終的にこの言葉に落ち着きます。

 

 

自然はいつ襲ってくるか分かりません。(特に地震)

大雨や台風はだいたい襲ってくるときが分かります。

 

自分は大丈夫だ。

という気持ちを持っているといつかは日常を一瞬で失うかもしれません。

 

正しく自然を恐れましょう。

僕にしか語れないこと、僕しか見てこなかった景色があります。

悲しみを見てきました。

その先に希望は必ずあるんですが、一度の悲しみが大きすぎるのです。

 

悔いなく生きましょう。